幕末きっての名君と名高い薩摩藩主、島津斉彬公。
幕末の人物の評価は、見る人によって様々なんですが、この人を悪く書く人はほとんどいない様に思います。
日本が本格的な混乱に突入する前に、斉彬公が死んでしまったという事もその一因ではあるでしょうが、視野の広さと先進性は藩主クラスでは他に並ぶ者がいなかったくらい飛び抜けていました。
斉彬公の紹介は後日専用のページで行うとして、今回は斉彬公と芋焼酎についてご紹介します。
薩摩は温暖な気候の為に日本酒の生産が困難でした。
その替りに米焼酎を飲むようになっていたのですが、斉彬公の幕末の改革の一環として、火縄銃ではなく衝撃で爆発する装置を用いた雷管銃(らいかんじゅう)の製造というのがあります。
この点火装置を作る為にエチルアルコールが必要だったのですが、当初はこの原料として米焼酎を利用していたんですね。
ところがこれは非常にコストが掛かり、大量生産が出来ないという事でコスト削減の為に芋焼酎を利用する事を命じます。
当時、芋焼酎も自家製で一部飲用される事もありましたが、においがきつかった為、一般的には出回っていませんでした。
斉彬公はこれを工業用に使用するだけでなく、飲料用としても利用できる様に製造法の改善を行います。
米焼酎と比べて値段も安かった為、庶民にも浸透し、皆大喜びだった事でしょう。
現在芋焼酎は鹿児島の名産品となっていますが、これも斉彬公の善政の名残なんですね。
鹿児島は見どころ盛りだくさんですよ。