孝明天皇と「一会桑」

孝明天皇は幕末を語る上で非常に重要な人物だと思います。
当時の朝廷の様子がどの様なものであったか、天皇の意向がどの程度朝廷の総意として反映されたのかなど、これがはっきり分からないとその他の人物の心情も中々分からないんですよね。

そう思って買ってみたのがこの本です。

孝明天皇と「一会桑」―幕末・維新の新視点 (文春新書)

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著者:友近良樹

レビュー
この本では孝明天皇の意志が、朝廷の意志決定の際に重要なウェイトを占めていたとされています。
当時の関白の九条家、太閤の鷹司家などとの考え方の違いなども書かれているのですが、ちょっと他で言われている内容と違っていて興味深い部分も多いんですね。
ただ、その裏付けとなる資料の提示が個人的にはイマイチな感があり、読み終わっても何か釈然としないものが残りました。

薩摩・長州が武力討幕に至る過程なども、かなり一般の考えとは違った部分が見受けられます。
現在一般的に言われている武力討幕の過程というのが、明治の薩長政府によって意図的に作り変えられたものであると指摘しています。
ここまでは普通ですけどね。

ただ、面白いのは薩長の武力討幕の方針が公に明示される様になったのは、江戸の薩摩藩邸焼き討ち事件以降であり、それまではあくまでも会津藩・桑名藩を武力討伐のターゲットとして考えいたというところですね。
それまでは、幕府と戦っても勝算は薄いので佐幕強硬派の会津・桑名のみを排除しようと考えていたという事です。

この辺りは西郷や大久保の手紙などを引き合いに出して説明しており、「なるほど~」と思えるのですが、江戸の薩摩藩邸焼き討ち事件(一般的に西郷の指示で薩摩が幕府を江戸で挑発した事が原因である)の説明が全くないんですね。
幕府と戦争したくないはずなのに、なぜ幕府を挑発したのかが不明なんです。

西郷とか大久保以外の薩摩藩の人が、この二人の許可を得ずに独断でやったのかという事になりますかね。
この辺りも釈然としないところですね。

そのうち調べてみようと思います。

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