小栗忠順と西洋式造船所

小栗忠順(おぐり ただまさ)をご存知でしょうか。
この方、幕末の幕臣の中で抜群に先見性があり、優秀だったと名高いお方です。

なるほど聡明そうなお顔です。(多分これは気のせいですが)
幕末の幕府の財政は知っての通り窮乏していましたが、1865年当時の勘定奉行が小栗さんでした。

小栗さんの発想は、その後の明治政府で掲げられた「富国強兵」そのものでした。
外国の技術を積極的に取り入れ、産業と軍備の改革を行うというのがその趣旨ですが、この一環として江戸の近くに西洋式艦船を造る為の造船所を作るべし、と言って周囲の反対を押し切るんですね。
幕府の財政が苦しかったものですがら、当然反対する人が多い訳です。
この時の彼の名言というのが「造船所を作らなければ、その金は無駄に使われるのであるから、造船所を作れば金の無駄使いが抑えられる。仮に幕府が政権を返上したとしても、立派な蔵を作ったという名誉が残る。」といった内容だそうです。
なかなか面白いというか、おそらく現代であればカリスマ経営者になっていたような人だと思います。

さて、当時の幕府はフランスと親密な関係にありましたので、フランスの助言を聞き入れて建設地は横須賀になりました。
残念ながら、造船所の完成を見ずして江戸城の引き渡し後に、間もなく小栗さんは新政府軍に捕縛され斬首されてしまうんですけどね。
特に罪状が云々という訳ではなかったようなのですが、強硬な佐幕派でしたからね。
惜しい人を亡くしたもんです。

ちなみに、この人が考えていたのは藩を廃して郡県制とし、幕府の完全な中央集権体制に持って行くという事だそうです。
個人的にはここが本質を突いていて一番凄いかなと思います。
明治政府がやった廃藩置県そのものですからね。

それと、これは物凄く見解が分かれるところでしょうけど、最速で「富国強兵」を推し進める為には強力な専制に近い統治システムが必要ですし、明治政府は大久保派が諸侯や他の派閥の人達を追い払って自分達のやりたいようにやった訳ですからね。
小栗さんは高禄の旗本として生まれて来た為に、こういう選択しかなかったんだろうと思います。

横須賀造船所は新政府に引き継がれ、1871年(明治4年)に完成しました。
横須賀造船所

これで蒸気船などの洋式艦船の製造が可能になり、「富国強兵」策を加速させる事になるんですね。

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